簡単ですが、国分寺の建設産廃専門行政書士・丹下聡のプロフィールを書かせて頂きます。
プロフィール
行政書士 丹下 聡
気軽に相談できる建設業許可・産廃許可の専門家(延べ関与件数は300社を超えております)
地域活動サポーター
昭和43年11月13日生まれ
国分寺市立第四小学校卒業
国分寺市立第四中学校卒業
東京都立国分寺高等学校卒業
明治大学法学部法律学科卒業
国分寺生まれの国分寺育ち(正確には誕生日が43年11月で国分寺への転入は44年の1月頃のようですが、おまけしてください(笑))。小学生の頃からサッカーをやってましたが、当時は肥満児だったからか?一向に上手くなる気配もなく、高校3年生までずーっと万年補欠。しかしサッカー自体は大好きで、大学生の時はテニスサークル全盛時代に逆行して、まだまだマイナースポーツだったサッカーサークルに所属。サッカーして、その後に飲みに行って一人暮らししている友達のアパートに転がり込む生活が楽しすぎてあまりに授業に出ず、親からは「アンタの授業料単価が高すぎる」とぼやかれながらも、サークル仲間とのサッカー、ボーリングや建設業(土方)のアルバイトに明け暮れる。
【軽天間仕切り職人】にあこがれた大学生時代
大学生時代の建設業のバイトはビルの基礎工事の生コン打ちや、H鋼の運搬など色々やりましたが、一番長くお世話になったのが「軽量間仕切り」の仕事。アルバイトの宿命で朝の9時から夕方5時まで延々とくそ重たい𠮷野石膏のタイガーボードを運んだり、足場を組んだり、親方の言うとおりに寸法にボードを切ったりなんでもやらされ・・やらせて頂きました!きつかったけど滅茶苦茶楽しく、親方の職人っぷりがめちゃくちゃカッコよく見て(寅一のニッカボッカ、憧れです!)今でも夏の暑い時期に内装工事の現場に出くわすと「あーメット被って、ニッカはいて現場入りたいなー。ボード貼り手伝いたいなー」って思ったりします。絶対に体力がもたないですが。。
建設業の許可と産業廃棄物収集運搬業の許可取得を通じ、
街とみどりを元気にする活動する方たちの社会的信用をアップさせ、
活動の場を広げるお手伝いをしている。
行政書士になったきっかけ
35歳の時に母親が病気で倒れたのをきっかけに、今後の自分の人生についてちょっと考えてみる(基本的にお気楽なので、そんなに自分の将来とかを考えたこともなかったです)。その後父親も病気で倒れ、介護や病院も含めて地元に頼ることが多かったため、地元で多少無理・融通の利く仕事をしたいと思って資格の勉強の始めました。
同業者や他の士業の先生の中には「半年くらいの勉強で受かったよー」という方をチラホラお見受けしますが、当然僕にはそんな頭脳はなく、3回目の受験で42歳の時にやっと資格を取得し、たんげそう行政書士事務所を開業。
その後2か所ほど人様の行政書士事務所にお世話になり、一人ではできないような大きな案件にも関わらせて頂き、スキルと知識の大幅なアップをさせて頂きましたが、2020年の新型コロナウイルスでの緊急事態宣言なども経て、「やはりこれからは社員や事務所などは極力なくし、お客様の為に事業をより質の高い業務を提供する形態としては、地元で一人の事務所を」という選択肢を選んだことに、より一層「正解だった」という確信を持ち、これから後10-15年(私が65歳くらい成る迄)全力で仕事をしていく気持ちを新たにしております。
特 徴
行政書士になる前の10年間は、社員15名位の小企業で経理総務を一人で担当。
書類作成の他にも、小さな会社の総務・経理など全般に精通しており、法人設立したばかりの会社のお手伝いや相談に乗ることができ、お客様にとても喜ばれている。
また、経理の経験から「会社の数字」「貸借対照表・損益計算書の数字」になれ親しんでおり(日商簿記2級も取得済)強みがあることを活かして、建設業許可の経営事項審査における点数アップ(特に点アップ)に強みを持っております。
プライベート・趣味
趣味は音楽と自転車と万年成功しないダイエット
都内の自宅から諏訪湖(片道190km)は自転車で半日で行った経験あり。
朝4時に出発しお昼に食べたウナギの美味しさが、今も忘れられない。
音楽も大好きで、中学生の時にAmericanTop40にはまった後に高校生になってからはハードロック・ヘビィメタル一筋。昔は「外国のハードロック以外は軟弱でしょ。聞くに値しません」と真面目に思っておりましたがw最近は本当に70-90年代の洋楽(ハードロック)から最新の邦楽・アイドルソング、クラシックまで何でも聞きます。ライブにもちょこちょこ行きます。
愛用品の携帯音楽プレーヤーには7000曲以上が収録されております。